豊臣秀吉の格言・名言
2015/07/16
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、天下人、関白、太閤。明智光秀を破り、関白・太政大臣に就任。
徳川家康ら日本全国の大名を臣従させ天下統一を果たした。
生: 天文6年2月6日(1537年3月17日)
没: 慶長3年8月18日(1598年9月18日)享年61歳
豊臣秀吉の格言・名言
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
(辞世の句)
スポンサーリンク
この黄金の輝きも 茶の一服に勝るものかな
戦は六、七分の勝ちを十分とする。
およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり。
家康は愚か者だ。が、油断のならない愚か者だ。
敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。
いつも前に出ることがよい。そして戦のときでも先駆けるのだ。
財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ。
世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う。
女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事
どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。気にするな。
何事もつくづくと思い出すべきではない。
側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす。
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。
人と物争うべからず、人に心を許すべからず。
主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ。
猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。
やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる。
主人は無理をいうなるものと知れ。
ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり。
それは上々、一段の吉日にござる。信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きて帰ろうとは思わぬ。さてまた光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思いのままに国をもらい、この播磨の城に帰ることはない。
人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない。
いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない。彼らは早く死んでよかったのだ。生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう。
信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。
返す返す秀頼のこと 頼み申し候 五人の衆 頼み申し候 頼み申し候
Sponsored Link
Sponsored Link
関連記事
-
北条氏綱の格言・名言
小田原北条氏2代目で北条早雲の息子。早雲から家督を受け継ぎ領土を広げた。 生:1 …
-
蒲生氏郷の格言・名言
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国武将としては珍しく側室を置かなかった …
-
武田信玄の格言・名言
戦国時代の武将、戦国大名。「風林火山」の軍旗を用い、甲斐の虎または、龍朱印を用い …
-
徳川家康の格言・名言
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で江戸幕府の初代征夷大将軍。織田信長と同盟 …
-
北条早雲の格言・名言
室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖。伊勢宗瑞(いせそうずい)と …
-
織田信長の格言・名言
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。1573年に足利義昭を京都から …
-
伊達政宗の格言・名言
出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。幼少時に患った疱瘡(天然痘)によ …
-
宮本武蔵の格言・名言
江戸時代初期の剣術家、兵法家、二刀を用いる二天一流兵法の祖。生年及び出生地に関し …
-
吉田松陰の格言・名言
江戸時代末期の武士で明治維新の精神的指導者・理論者。松下村塾では、久坂玄瑞、高杉 …
-
ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)の格言・名言
ヨーロッパの大半を勢力下に置いた軍人。1804年に即位式を行いフランス第一帝政の …
- PREV
- 武田信玄の格言・名言
- NEXT
- 徳川家康の格言・名言