織田信長の格言・名言
2015/07/16
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。1573年に足利義昭を京都から追放して室町幕府を滅ぼし、下克上の時代における最初の天下人となった。しかし、1582年6月21日に家臣・明智光秀の裏切りによる本能寺の変で自害を迫られた。
生: 天文3年5月12日(1534年6月23日)天文3年5月28日など諸説あり。
没: 天正10年6月2日(1582年6月21日)享年47歳
織田信長の格言・名言
生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。しかし、生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。心構えがまるで違う。これが大事だ。
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必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。
器用というのは他人の思惑の逆をする者だ。
臆病者の目には、敵は常に大軍に見える。
恃(たの)むところにある者は、恃むもののために滅びる。
組織に貢献してくれるのは優秀な者よりも能力は並の上だが、忠実な者の方だ。
人を用ふるの者は、能否を択ぶべし、何ぞ新故を論ぜん。
人は心と気を働かすことをもって良しとするものだ。用を言いつけられなかったからといって、そのまま退出するようでは役に立たない。その点、お前は塵に気付いて拾った。なかなか感心である。
戦に勝るかどうかと兵力は必ずしも比例しない。比例するかそうでないかは戦術、つまり自身にかかっているのだ。
人城を頼らば 城人を捨てん
理想を持ち、信念に生きよ。理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。そのような者は廃人と同じだ。
攻撃を一点に集約せよ、無駄な事はするな。
仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。
およそ勝負は時の運によるもので、計画して勝てるものではない。功名は武士の本意とはいっても、そのあり方によるものだ。いまその方の功名は軽率な動きである。一方の大将となろうとする者は、そのような功名を願ってはならぬ。身の危ういのをかえりみないのは、それほど手柄と言うことはできない。今後はこの心を忘れるな。
愚かな間違いを犯したらたとえ生きて帰ってきてもワシの目の前に姿を見せるな。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
※人間の50年の生涯は儚いものだ。死なない者は存在しない。
幸若舞の『敦盛』の一節。
是非に及ばず
※ しかたがない。やむを得ない
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